平穏な日々だ、と笑っていたい(後)
彼女は口にした。
「ひとりじゃ抱えきれなくて」
彼女は口にした。
「どうすればいいの」
「会社に迷惑ばかりかけて」
「この会社にいていいのかな」
人が悲しんでいるとき、困っているとき、
なにをするのが正解かわからない。
よりによって、嫌いな人に。
自分が悲しんでいるとき、
「だれかのそばに居たい」って思ったのはいつのことだろう。
そういえば、だれかのそばに居たいって思ったこと、あったっけ。
ぼくは甘やかされて生きてきたから、
甘えてる自分が情けなくて、恥ずかしくて、
だいきらいだった。
こんなに迷惑かけるくらいなら、居ない方がましだって、何度も思った。
いまはたくさんの病気で世の中は溢れていて、
病気のレッテルが貼られたらその人はもう病人だから、
みんな腫れ物に触れるよう慎重に、丁寧に扱う。
病人になったあなたは
抗っているのか
受け入れているのか
ぼくには検討も付かないが、
ひとつ言えるのは、全部「なにか」「だれか」
のせいにしているんだ。
楽なのか?その生き方は楽か?
ぼくは全部自分のせいにしていた方が楽だ。
そんな自分が好きだ。
だれかのせいにするような自分は愛せない。
だれかに愛される資格もない。
価値観の違いはたくさんあるけど、過去の自分と照らし合わせて、そう思う。
「この会社に居ていいのかな」と言う問いに答えを付けるなら、
ぼくは「だめだ」と言いたい。
だめに決まってるだろう。
だからぼくは毎日、なにかひとつでも貢献できるように、些細な助けになるように、
弁当のパシリだって行くし、無茶な要望だって極力応えたいし、
自分の存在理由を、会社の価値を必死で探しているのに、
なにもしていないし、なにもするつもりのない奴が「ここに居ていいですか」と言う。
給料をもらう。会社にとってマイナスしか生んでない状態なのに、平気でそういうことを口にして良いわけないだろ。
ぼくだって会社にとってマイナスな人材だ。
だからマイナスを補完するために毎日ドキドキだ。
仕事がなかったら文句言う。
仕事与えたら文句言う。
「ゆるい会社でよかった」と、
平気で言葉にできるあなたのことが、
本当に嫌い。
本音で話せないこの環境も嫌い。
社会人になるって、大人になるって、
こういうことなんだろうなって思う。
それでも、たくさん楽しいこともある。
それでしか自分は保てないし、
それだけあれば充分だとも思う。
でももし、大嫌いなあなたを少し好きになれたなら、その方が楽しいから、
どこかで期待している自分もいる。
あなたの鬱陶しい言葉ひとつひとつ、
平穏な日々だ、と笑っていたい。